徳江 倫硯 先生 平成24年2月10日

 

釈迦を師として生きること

 

 昭和21年7月8日生まれ64才

北朝鮮で生まれ、生後八ヶ月でひきあげ、中学二年まで水俣市で育つ。

この間水俣病について考える。

高校生の頃より仏教にひかれ、

澤木興道老師にあこがれ、

駒沢大学仏教学部禅学科に入学する。

澤木老師が入学直前に亡くなられたので

正師を求め、全国を行脚する。

その後同大大学院修士課程に席を置く。

友人の祖父が葬儀が縁で、富国生命の社長と知り合い入社。

サラリーマンとなる。

 

 縁あって、昭和49年結婚

人事部門を皮切りに、教育部門、営業部門を経験。

営業では、岐阜支社長を最初に千葉、京都を歴任。

本社に戻り三年目に辞職。

その間、妻四四才で他界。

 

下の子が高校を出るまでは会社を辞めないでという妻の遺言を守り、

大学合格の翌日に辞表を提出。

 

以降、お釈迦様にならい、

「旅が中心の生活」(※)をするよう心がける。 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 


人間誰しもが持つ、

 

「人間はどこから来て、どこに行くのか」ということの問い掛けです。

 

しかし、どこから来た?

という問い掛けに答えることは、

実体験としては不可能です。

 

事実は、氣づいたらこの世にいた、来ていた。

生まれていたということでその先にはいけません。

 

反面、どこへという課題は、知り得る可能性があります。

だから脳や心臓の欠陥のように、

時で死ぬ病氣はなるべく避けて、

癌のような最後まで意識のある病氣で逝くのが夢であり、

楽しみであり、旅の目的です。

 

もちろん、死の恐怖、痛みに対する恐怖がないわけではありませんが、

それにもまして、最後の扉を自覚を持って通過することが、

旅としての人生の、尤も大きな喜びであり、課題だと思います。

 

 

お釈迦様は言っています

「一人静かに犀の角のように歩め」と。

 

仏教とは、戒、定、慧の三学を基本にしますが、

中でも慧こそは、

三学の最終目標であり、

あの世へ旅立つ我々の、大事な持ち物のような氣がします。

 

仏教とはそのヒントを教えてくれるもののような氣がします。